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日本の中古生代放散虫研究史

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日本の中古生代放散虫研究史
日本の中古生代放散虫研究史
市川浩一郎*
History of Paleontology on Mesozoic and Paleozoic
Radiolarians in Japan
Koichiro ICHIKAWA ホ
Abstract Hislory o
f paleontologic works on'
l
vlesozoic and Paleozoic Radiolarians
i
n Japan may be divided i
n
t
o three s
t
a
g
e
s
. ¥
Vorld development i
s also r
e
v
iewed as
background
First stage (
1926-1940): Pioneer works chiefly by YEHARAand HUZr:llOTO.
Second stage (
1941-1961C-1968)):Comprehensive studieson ra 出 olarian rocks
by KOBAYASHf & KIMURA; description o
f Radiolarians by KIMURA ,
I
C
H
J
K
.
A¥
¥
"
A and
k 心,OMATA o
nt
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e basis o
ft
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c
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o
n
s
. Reasons for dec
¥ine of activity during the
1
9
5
0
's and 60'
s are analysed
Third stage(
1969- ):Restart o
f researches was stimulated by de 、 elopment
o
f extraction t
e
c
h
n
iques from indurated cherts and s
iI
iceous rocks , introduction o
f
SEM , achieven、 ent o
f:
v
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o
z
o
i
c and Paleozoic Paleontology , outside o
f Radiolarians ,
i
n Japan u
n
t
i
lt
h
e 1960's and particularly , increasing needs for geological analysis
cated “ geosynclinal" complex. Recent advance i
n and outside o
f Japan i
s
o
f compli
reviewed with emphasis on t
h
e increasing number o
f domestic works i
nt
h
e 1980's
The 1980's ¥Vi
¥
l
regarded a
st
h
e fourth stage o
f development i
nf
u
t
u
r
e
.
には,
はじめに
fiiJ 故,研究が伸びなかったのか.についても
ふりかえ J でみる必要がある。したが、つで本文は標
ここ数年米の中古生代放散虫化石研究の進歩はま
題のような研究史といった形をとることとなる v
な
さに:爆発的である。それは世界的規模のものである
お日本を主題としているが勺然国際的動向も m 要
が,日本にあ、いでとくに顕著である c
な TT 景としてふれることとなろう。
最近の日本地
質 学 会年会での講演発表を例にとり,中古生代放散
日本での研究史は次の 3 矧に大別されるであろう。
虫の研究ないしはその結果を地層の年代論その他何
第 1 期
らかの形で適用した発表の数をしらべると,
まではきわめて稀で,
78年に 4 篇,
1977年
79 , 80年に 10 な
(1 926-1940)
第 2 期
(
1941-1961
) (-1968): 小林貞 一 ,木
いし 8 1,ì ,そして 81 年に:;1: .占挙に 30 潟と急U: 界して
村敏雄,市川浩 一 郎 ,
きた。その後の稜々の学会・研究会での発表などか
よる。
らみると,このよ うな 顕著な傾向はここし i i'らくは
続くであろう。
一 体,何故そうなのか。その背景について本文ても
は考察することとする c そのためには,それより前
*大阪市 立 大 学 理学部地学教室
D
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to
fGeosciences , F
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. Osaka , 558 , J
第 2 次世界大戦前) :
i工原真 fii. .藤本治義らによる先駆的 着 手。
第 3 期
鹿股信雄らの研究。薄片法に
(1 969以降):
SEM の 導入,
個体分離法
の改良,内生物 jt 的研究の進展と生層序'子a 的価値の
飛躍的向.1:。
研究史の諸段階はもとより 一線で劃せるようなも
のではなく,また大きな仕事の畜積・完成と印刷公
表との間には年数の経過もあるので,上記の西歴年
2
市川浩ー郎
は一応の円安として理解されたい c
たうち,
第 3 期とー括し
第 2 期:戦中戦後(1 941-1961)
(-1968)
1980年あたり以降は新しい段階ー第 4 期を
1941 年に「佐川造山輪廻」の原著を慨に問うた小
劃することとなろうが,まだわれわれは現在その渦
林貞ぺま,その後の多面的な研究のひとつとして中
中にあり,歴史的評価の対象には至っていな\ ,。ま
古生代放散虫化石および合放散虫岩の研究をとりあ
た.
げた。これは線本( 1938)
この頃から研究者数,発表数も急 f申するので,
80 年以降については小文でほ主な流れに 言 及するに
ととめる。
の前述の発見が具体的事5
機となっでいて,その結果は小林・木村敏准(1 944)
として出版された。これは合放散虫店才ゴよび放散虫
フォ ー ナの取吸いに関する極々の問題を取上げ,ぷ
第 1 期:第二次世界大戦前(1 926 1940)
必しているが.そのひとつとしで藤本が年代論とし
日本での放散虫研究の先駆者は江原真伍(1 926 ,
て重視した RlÆST による百分半法を批判 L でいる
192ì)
である。彼は四万寸区・秩父累帯の放散虫岩
(チャートなど)から放散虫をはじめて図示記載した。
同じく外帝で放散虫に注目したのは藤本治義(1 932 ,
1933b ,
1939)
で,彼はホームフィ
ルド関東山地
これは Cyrtoids 極数の放散虫化石群 I{J の全種数に対
する百分率が,占生代のある HMtJj からン ユ ラ紀にか
けて I国加することを利用した年代論であるが.小林
:ま f列え!!'
R 仁F. ST の資干斗で ベ ルム・トリアスま己のテ
-'
)
jIJ 本の資料がこの
をはじめとし八溝 L lJ地にも研究をのばしたが.Pî出
ータが乏しいことを指摘し ,
放散虫を Iえ:Jjf;記載するにはいたらなかった c 藤本(
欠乏を補い{寄ることを主張して.
1933a} ほ放散虫チャートの成凶について日本ではじ
表示法を ρよみた
めで考察を発表し,また同年珪 n 岩の命名 J去の報文
佐川銭地雨縁等からのÌ'.と L でチャート中の放的虫
な あ\木村
(,'分不法に代わる
0944a ,
b
.c
) :if凡1[J\1
をも出していて,放古文虫チャートへの深い関心がう
を|支| 示 ・記述した。その頃木村(主戦時従軍のため何
かがえる。さらに彼の放散虫に関する仕事できわめ
究を続行できなかソたら
て注目されるのは,長 j静の 三 j皮川変成岩類中の石灰
市川浩一白 jl:i 小林教授のすすめで,東以青r51剤1]訣神
't'l: i故レ ン スから放散虫化石を発見したことである
社西方の三宝山!持群中の E圭'l:ti尼岩産の保存良好な放
(1 938)。
散虫化石を研究した c
当 時:ま 三 波川岩類[立先秩父ということで,
それを藤本法,
ジ L ラ紀,少くとも中生伏と主張し
たのだから大きな以併を呼んだ 。
これ{立 当 時の知見では藤本の
五日市鳥巣帯,小林の仁 1 丸帯秩父系に属しでいる ザ
先カンブリア(ないし先石炭紀)とされていたが,
その所論 li 数樋の
この検討 i 主戦中に主として行われたが.その後終戦
前の空軍基,研究室政側,戦後の東京復帰を経て,
1
9
三 節および多節の Nassellarians が当時ンュラ紀と
46年に化石放散虫の層住子的価 ív宣に[望l ずる考療が印
みなされた地怖からの種に近似していること,ぁ、よ
刷となった。市川;ま放散虫の百分三手法には基本的な
び Cyrto 】 ds の属数( 6)
靴作、があり,年代 J命[立結局種の生作期間を利用する
%に及んでいること
が全体の検出属(1 0)・の 60
(RUEST の百分率;法;後記)に
のが持;道であるとした。御殿の記載は戦後の出版 事
基つ、い C いる。しかし 何分にも変成岩中のものだけ
情もあり.
に保作はィ、良で,また 当 時ベルム紀・卜')アス紀の
のうちには 36新種カ、含まれている a
放目立虫化石の知見がきわめて貧弱であったので,
初の放散虫化石の新種の μc!\& であった
そ
の ~J長/一的価値が不 H片で\牒本の主張 l ま必ずしも受
1950年になって印刷の機会を得た
この間,藤本(1 949)
も戦前の研究を続行し,ま
け入れられなか J たかし先カンブリア l尚弁百定
た四国の 三 波川笈:1茨岩類から;立藤本・山!日
するにほ充分であった f
49)
されることとしで,鈴木
この 11キ期でもうひとつ必固
間( 1939)
が北海道の u
白骨子群だけでなく神居古 im 系からも放散虫化石を報
告したことがある c
このように 19:,0年代には放散虫
化石が広く変成岩にまで保イ了されている ι とが判明
した c
じかし,放荷主虫の栂レベ)しまでの記載が行わ
れるまでには至らなかった。第 l 則:まいわ:工バイオ
ニァ σ)11寺井月といえよう 。
事
およひ‘湊
正維(1 950)
1981 年にほ四国の
so種
ごれ!立 H 本で故
純(
1
9
が放散虫化石の発見を
波川ヨh\è:宕 lli'やめ石 l大尉からト ' }ス
キ èí圭}明のゴノドントが fHP』され ,
また秩父県出 ~t~出から ン
?ラ紀 lìíJl!円の放 WI 虫化石も報? i" されてきたので
波川 rJ
類の!京岩が編成 ジコラ 車己 M を f\'v 可能十'1: 1 主 1 ド 7比二店,.λ とと
ってきた
隊本( 1938~
の発見:;1:,
[ヌ1 から判断 L でジ I ラ
紀の可能伐を排除寸 る ι ので (ま ないが.
さり とてジーラ紀
の if,1 長こし て 傾桜的‘治問 ['j一 品恥;す 二 も i且作いかと主 l C よ
りよい追加l 資料が必要である の たと~ J者郷久義 ( 1 Jj韮)己
よると.総本の吋/ブ Jしを f与たとい 7 は ~jji ê: J見泊は除去さ
れて L まコえことのニ ζ である コ
日本の中古生代放散虫研究史
第 2 に,このような 4犬況 F で I百]定を行っても,中
報告した。後者は湊の後輩小川敦男が北大の卒論調
究中.
1941 年 に発見していたもので,小川の戦死の
公表にあたり奏が代つで報告したものである。
19
3
古生代,とくにペルム・トリアス紀放散虫の知見が
全世界的に乏しかったので,年代論は不安定であっ
52年までの日本でのシルル紀以降の放散虫化石の産
た。 三 宝山帯や八議山地の放散虫化石には HJNDE カ、
出と海外の研究史については市川(1 953)
ボル不オやインドネシアのトリアスキ己ないしジュラ
がとりま
紀屑からとして記載した種と比較されるものが少く
とめている。
1954 年は放散虫研究の 記念すべき 一段階であった。
この年,
Treatise の Radiolaria の冊
なかったが,彼地の年代;命が不安定であった。白亜
紀放散虫についてはこの時期に CA~IP円ELL & CLARK.
(CAMPBÐム)
が出版され,また中世古幸次郎による日本の中新世
AUEV , ZHAMOJDA , P 日 SAG:'-lO , FORE九1 ぷらの記載が
以降の放散虫化石の記載が.この年以降順次発表さ
発表されてきたが,まだ層 Fiι 的には散発的な状況で
れていった c
したがって新生代をも含めた研究史と
あった。生!脅序学的価値が不明な段階では中古生代
しては 1953/1954年ごろを墳とし,本文での第 2 期
放散虫化石の研究は労多くしで,その害Ijに報われな
;立 2 分される c
し通対象であった c
一方中生代放散虫については,
(
1953),鹿股信 雄(1 959 , 1960a , b , 196 1)による
八海・驚チ山塊での研究がある
第 3 に,
その後河田 喜 代助
かI 田~;l: 1952年明神
礁の爆発で田山利 三 郎と共にイミ帰の客となり ,
í!,支の
1950~60年代:当時は,中古生代では他の
分類分野の古生物学的研究がまだ進んであ、らず,そ
の研究の方が実りある成果をあげ得るという事情が
あ っ た。筆者も放散虫化石の研究の必要性を認識し
リストした放散虫化石を図示する機会はなか っ た 。
つつも.戦後は占生物の面で i ;l:中生代 二 枚貝化石群
鹿股:主市川が、御鍛から記載したうち 10 種余りを問定
の記載や分類に重点をお、くこととなった。学買にい
し ,
さらに新種をも記載した c
また彼は Cyrtoids の
百 分率法および材化石 Dadoxylon
(Araucarioxyl0π)
つで 22i 時,;1: .これではとてもやってい;すないという
危機感、があった
1950~60 年代には多分肝の中・古生(-\::化石の研究
の発見から , 1皮 の八本 1符群の年代をシュラ紀である
が豊かな成果をあげた。例え~ j"日本産主のフズリナ生f.i
と 主張した。
ところで 中 古生代放散虫の研究はそれ以後 1960年
代:こは続行ないし新たに着手するものがなく ,全 く
に関する古生物 学 ・ 生 l習序学上の発表は,へ
ン数
や l主l 版数からい つ で 1955~65 年聞の出版が群を抜い
利口市してしま っ た。 1可故そうなったのであろうか。
て多 L 、。中生代でも,大型化石で最も普通的に産出
それにはいくつかの要閃ないし背景が考えられる。
する 二 枚貝化石の記載:ま 1949~1966 年聞に最大の進
第 1 に,これまでの研究は薄片 j去によ っ ていたが,
歩を遂げ,アンモナイトの分類や生絹序学的研究に
それでは,フズリナ類の よ うな中心の初主のない放
も 50~60 年代に m!~ な発展段階があ っ た。松本 j童自 1\
散虫では,中心をきる薄片であるかとうかは多くの
を 中心とする(l単品己の研究は.戦前からの目安史も占
断面から推定するしかなく,
く,とくに進んだ段階にあった。
を復元し,
したがって正確な形態
このように 1960 年代までに日本における中古生代
さらに個体変異を検討することはほとん
ど望めなし、埼白むから放散虫化石を酸処卑し分雌
の“ 目 立つ化 石 " の生層序学的大綱が判明し ,
する方法 l ま,すでに SCH\L\RTZ
中生代 j美}毎性地 騒や後期1 古生代石 j長岩 f本の研究が進
(1 924 , 1928)
によ
また
り示され,パリスカノ地帯の石炭紀 KulmJ老 tt 泥岩
むにつれ,
からの美事な写真は BARTH- C
O
R
R
E
:
'
<
S
-ESKOLA(
l939)
ト・緑色掛・砕!百店コンフレ ッ クスの研究が盈要課
の古典的名著“ Die Entstehung der Gesteine"
に
いわゆる I也向章 II 'l: t能的ヰ勿としてのチャー
也となってきた
も紹介されていたうしかし乍ら分雌標本の光戸顕微
鋭による観察!主,サイズの害 l\iニ深い焦点深度を t必要
第 3 期・放散虫分類学と生層序学の進歩
とする放散虫の場合には決して満足のいくものでは
前節に研究停滞の要因・千T J五ーとして 3 .t,~;i,をあげた
な く ,解像力の限界から殻 の孔の大きさ等も正確に
が,
(1969 ~)
このうち第 3 ,~主(“目立つ化石"の魅力)につ
は決定が悶著作で,従来の記載も必ずしも客観性が保
いで!;I: .すでに述 べたように 1960年代までにほ :.l 笠
証されでいない函があった。
廓 序学的大綱が判明 L ,府序学的古生物 学 は 一 段落
4
市
)11
告~I!~
(
1
) 放散虫分類大系などの進歩
の段階となった。
第 1 点の光学顕微鋭による観察の限界は,走査型
最初に国際的伏流としてあげられることは,従来
電子顕微鏡 ( S EM) の開発・改良と普及によって
不満はあつでも大綱として踏襲されてきた HAECKEL
ようやく打開される見込みがついてきたや初期の SE
の幾何学的規則性を重んじた機械美的な分類大綱ij (
M が試作されたの l 立 1950年代とのことであるが,そ
これには HAECKEL 自身が満足していなか った)に対
れが改良され実用化し,化石にも適用されるように
し,
なったのは 1960年代後期のことである c 本 l主主や協
70年代はじめに f足案されたことである
r1 然分類への意企・努力をもった分類大系が 19
(RIEDEL ,
19
力者が 1967 年に発表したナンノ化石,浮遊性有孔虫
7
1
; PETRUSCH E\' SKAYA ,
等の S E !VIによる一ー速の研究を契機として,市川は
微鋭観察にもとつくもので,
八尾
は形態の理解に不適切な部分があった(例えば Am.
D2 と共に 1968年!こ京都の島津製作所を訪れた c
1971 など )。これ は光主顕
S E :\'1
によると
昔日に
そして和歌山県由良地械守τ からの分離個体の SE !VI
phipyndacidae;
f象の撮影が行われた 。結果の. .g~1 二八尾・市川(1 9
散虫分類に新しい刺激と関心をよび起こした「この
69)
f是案は網羅的ではなく,その後発展補正されてはき
に報告したが,これは日本での放散虫化石の S
cf 目 E , IPso:\-IVloRI~ ,
198 1)が,放
EM 写真の最初の公表であろう。この治文では放散
たが,放散虫分類大系は現在まだまりj 招期にある
虫化石の S E l'vl ,光;::顕微鏡による観察の長短を比
近では PETRUSCH E\'SKAYA (I 98U
較し今後の研究は両者の特徴を生かし,うまく使
(;\assellaria)
いわける必 J安カずあるとしている。
(1972)
なお,化石研究会誌に載ったよ記の報 77 と l ロl じ叫
に.林
{計百 l まフ y 鮫法による 1ぽ状チャートからの
M
のような集大目立
カξ ある。また FOR トé~1 A:¥& RIE
DEL
による大冊の Catalogue の発行! .:t 1900 1 1'-ま
での古典文献の検索を容易にしたっ
1978年にはフランスの Lille で第 1 [nJ ヨ
ロソパ
コノドント抽出について独自の方法を発表しでいるい
放散虫研究集会
既に前年(1 968)
機に EURORAD\EWS という半ば informal な間
に
11れま,みど山層からのコノト
(E じ RORA D)が聞かれ,これを契
ント研究の初期の成果を発表したが,この頃の林ら
際情報連絡紙が発行されることとなった 。
の成果:土,]0状チャ
卜からの放散虫の個体分離の
散虫研究の機運が国際的に高まってきたこときそノJ' ~
70年代!こは悶の内外で改良された材
またこの頃から国際的に若い研究人 [1 が急速に憎え
技術を促進し,
料採取一個体分離法が発表されてきた。
てき:まじめた c
SE:
V
Iはその後,単使用目的の安定した型が開発
Basel で開かれ,
1980年には,
が参加した
こととなった。大阪市大の基盤地質研究室には 1972
年に予定されている 1
SEM を使用した中生代放散虫
に|期する初期の研究としで:ま八尾(1 972) ,市川・
八尾
(1973 ,
1976)
なとがあり,
の SE !VI 使用の解説がある,
また八尾(
1
9
7
5
)
1970年代後半には SE
(2)
第 2 ~!I E じ RORAD が
(B~しJlI IGART~1ユ Hf也,
198 1)。第 3l' I J ! .:t 1982
深海掘削計画の成果と白亜紀の研究
つぎにあげられるのな 1968 1 ド 8 月から実 Etti された
深海堀削計画(D SDP- IPOD) である 。 その成果
,;!:地球科予の多分野に計り知l れない影特を与えたが.
!VI:ま広く将及し,放散虫研究には不可欠の手 f~ とな
放目立虫化石層序についても,新生代:二つづき,
ってきた
紀からシュラ紀末期への大綱 f是案:ニ大きな役古 IJ をは
第 2 点 の問題;丸まず ( 1 盟紀 についでは 1970年代
後、いまでに大綱が提案され.
ヘルム ,
卜[ )アス,
そして 1979-8Ofド以降
ンラキ己の過半の白 1; 分の見 1i が
ついてきた"すなわちこの段階で中生代・後期古生
.
日本からも中間: 0i ・西村-八尾ら
され,地 Tt' 何千の大学研究機関でも l順次納入される
年夏に納入された。
これは放
(1 亜
たした 。 すでに前説でふれたように (1 !ßi:キ己について
:
i60年代までに陀上の何究からr1:,(i'I二的知見が-t~h'i さ
れてきたが.
さらに PESS 久G:-<O ,
D Ul IITRICA ,
FORDlλ 1\, RIED五L ・ Sι è\ FIL 日中0 ,
\'10υHF ,
SCH\.\ ドらにより.
代の放散虫の年代指ポ者としての価値はー挙:こ i~~lj ま
DSDP の連続的な新知]兄を通じて総合的な分併カ\試
ってきた。極めて重要な転機である 。
みられるようになった 。
その fT 設とし
そしてそれらは他の化石分
ては J'. 述第 1 点の技 i~J(n 問組もあるが,その f也多く
煩群との対応から年代的 f立問つけがなされた ー
の,複合した:li.'I大|があげられる 。
P F: SSAG è\O の仁]亜紀後期(1 976)
りかえってみよう。
その主な流れをふ
77a),
そして仁 1 亜紀前期
,
0977 b)
シ ュラ紀末則(1 9
の Cal ifornia の
5
日本の中古生代放散虫研究史
一連のモノグラフの発表は,近年使われている多く
0972 , 78 , 79) , DUMITRICA (1978) , DO
;
¥
l
OFORIO
の科や属の分類提案の基礎となるもので\また SE
& MOSTLER (1 978) , D EW FBER (1 979) , PESSAGNO
M 像で凶示され,分類・記載としてはー段階を画す
他(1 979)
るものである。彼はまた,アンモナイト ,
おくれて 1977年以降に発表が加速されできた。
Buchi 仏
浮遊性有孔虫等にもとづいてジュラ紀後期から白亜
紀にかけて 17分帯を提案した。これまでの経緯は中
世合(1 979) ,
中世台他(1 979)
に具体的に紹介さ
れているので,ここでは流れを示すにとどめる。な
お PESSAG:-;O の提案した分帯で,ジュラ紀,
n 亜紀
日本では大型化石により年代の確定した資料で記
載に耐える保存のものが得難かったので,
(1976)
たが,
判的な研究があり,現在そのまま適用するわけには
で,
BAUIVIGARThER 1-也の研究は分管・国際対比
70年代は
じめから,保存の非常によい美濃帯犬山地域鵜沼の
放散虫化石の記載が八尾(1 972 ,
前期の前半については BAUMGARTNER 他(1 980) の批
いかない ,
などである。すなわち白亜紀の研究より
79) ,市川・八尾
により進められた。秩父累帯の材料もあっ
70年代前半ーの段階で ii.
ほとんどが新種なの
きちんとした記載を行うには保存良好なものか
ら始める必要があ っ た。
DONOFORIO他(1 978)
はこ
の基礎論をふまえ,大ノj 、単元の地域的適用限界をも
の群集をシュラ紀後期としたが,これがジュラ紀中
考慮している 。
葉のものであるとの見当が次第についてきたのは 79
もっとも放散虫の研究はめざましい
進展途ヒにあるので.多地域のデ
タがそろうと,
年頃である。
他方.中世古他(1 979) .八尾他(1 980)
限芥也、当然変わるでみろう。
はトリ
このような国際的背景のもとに日本では 70年代後
アス紀中後期放散虫を西南日本から報告した。上述
期に法四万十区や北海道白亜系の放散虫研究が新た
の海外の記載 Itf也の化 ti から年代を決めたものであ
にスタ
るが,何れも連続した!胃序断面から生層序を設定し
卜した。最初の発表 l 立中川哀竺・中世古
(1979) ,
中世古
たものではな" , その 点 八尾他(1 980)
の研究は連
(1977)
である。ついで中世古他
(1 979)
ば日本の白亜系に 7 群集を識別し,それと
続断面で,放散虫とコノトントの生府序を追求しで
上記の海外の研究との国際対比を試みた。これによ
年代を決めた国際的にもはじめての仕事であるので
り四方十区の放散虫研究の有効性が認織され,研究
評価される 。
は拡まり,また秩父累帯や和泉帯の丘]亜系研究にも
波及しつつある(中川他.
1980; 岡村,
1981 など\
またこの論文では Rhaeti an 型コノドン
トが産出 L ないと位層準の放散虫群集(おそらくジ
ユラ事己前期)を明らかにした去でも重要である。中
発表 l 主要旨を含め広範問にわたる二なわ本号の関係
世古,八尾らの発表が契機となり,日本の各地でト
論文を参照)。
リアス紀,
しかしながら,中世古も述べているように,単に
そして恐らくジュラ紀前期の放散虫群集
がいl 定され.
81 年以降さらに,涼しい群集識別が多数
新しい国際スケールを利用するだけでは不充分で,
の研究者によって進められつつある(例えば吉村他,
いわゴ自育Îj の放散虫魚屑序を確立する必要があるご
1982; 須鉛他.
この意味で竹谷陽一;自 11
お八尾 f也(1 980)
(1 98 1.本予告)の北海道での
生層序研究は評価されねばならなし、四万十区など
精進の複雑な地帯でも,年代の判明しでいる他の化
石とのチェ y クの努力が重ねられね:工ならない。
(
3) トリアス・ジュラ紀
トソアス品己.
ジュラキ己前・中真月になると DSDP に
1982.
本日ーの八尾他などの論文)。 な
の分帯はその後代表種の記載を伴
い,改訂版が lおされた
( 八尾.
1982a )。
多くの研究の中でとくにふれておくべきものは水
谷伸治郎らによる美浪待のシュラ紀放散虫の研究で
ある。水谷は 1976-77年の滞米中 P ESSAG
;
¥
I
O.JO
:
;
E
S
らとの交流を通じ,中生代放散虫化石研究の重要性ー
は多くを望めな L 、。最近西太平洋の Leg , 76 では Ox.
を深く認識し,以後本格的研究発開始した c
fordian 下に Callovian の放散虫粘土岩が採取され,
多方面にわたり.多彩かっ重要な研究を展開してき
水谷;ま
BAIr
¥
I
G
A
R
'
1\IER が研究中で、あるので,成果がj主川され
たが,これまでに古生物に手を染めたということは
る。現在のところは陸上のテータによらね l まならな
聞いたことがなし、その彼が放散虫研究に着手した
"
070 年代にはアルプス・へレニデスさらにパハカ
のには,余程の事情.研究計画上の必然性があった
リフォルニアから卜リアス紀中・後期や一部ジ L ラ
に違いな "0
それは彼自身が語ることで\ここでは
紀の化石放散虫が r屯載された。 KOZUR & i
'
v
l
o
s
T
L
E
R
ふれないが,
70 年代後Jt)J の情勢展開をよく裏 書 きし
6
市川浩ー郎
ている。彼のジュラ紀を中心とする放青空虫群集に関
する研究は水谷他(1 98 1) ,水谷( 1982)
を皮切り
前期古生代では古谷
裕( 198 1)が福地の材料を
中心に基本的な研究を進めでいる(本男の古谷参照)。
公表されてきつつある。水谷の研究の持徴のひとつ
先ベルム紀の放散虫化石の研究は HOLDWORTH , NA
としで.化石群集を産する地質 f本の同 f立体年代潰IJ定
ZAROV らにより近年国際的に系統的な畜積が重ねら
を併行して行なっていることがあげられる。これは
れているものの,中生代の研究よりもフェースがお
共産するコノドン k 等による年代チェ y クを行いが
くれている。しかしその解明は今や時間の問題であ
たいジュラ紀群集の場合 l よ,とくに重要である c
ろう。
その他,菅聖子イ也(1 980) ,松岡
篤(1 982)
や相田
(
5
)
地質学的背景
吉昭.西圏幸久他などの 三宝 山地帯の中生代放散虫
前京に述べた第 2 点に関連し,本章では放散虫分
の研究はひとつの基礎をなすと期待される(本号の
類大系関係の背景,各地質年代における国際的動向
それぞれの論文参照)。
下での日本の研究の流れ,とくに生層序学的価値の
なお 80年代に入ると海外でもトリアス・ジュラ紀
検討の進展を追ってきた。このような放散虫化石研
放散虫の電要な論文が年を追って出版されてきた c
究の熱気は,日本の中古生代地質 学 の現在的要請に
BAL,;\ IGART河 ER f也(1 980) , DI2vlI TRICA , KOZCR &
応えるものがあるためであることはいうまでもない c
MOSTLER (1 980) , DEWEBER (1 981a , b , c) , PES
この点について以下にふれることとする 。
¥O & BLOME (1 980)
SAGZ
はその例で,
・準備中のものが続いている。
さらに印刷中
トリアス・ジュラ紀
の研究は日本を含め国際的に 一 気に進展しつつある。
( 4)
己生代放散虫の研究は海外で:;1: 60年代までに散在
的な審問が積まれてきたが.日本との関連からみれ
E\1 使用という点からは後期古生代では
oRMJSTON & BABCOCK (1 979) ,
(1 980)
HOLD¥¥'ORI
1I& J
O:¥ES
の AI
b
a
il
Iellaria の研究が重要な契機であ
った 。 石賀硲明・井本伸広ら丹波地帯研究グル
のメンハーによる生層序と化石記載(1 980 ,
そして竹村厚司・中世古
プ
1982) ,
(
1981) の新 J;l, 記載は.
1970年代はじめ
生層中の海底地とつ岩塊であるという問題が提起さ
れた(例えぽ I 相 11. 石井・八尾.
古生代
ば,また S
いわゆる秩父肯生層については.
には,ベ Jレム・石炭紀石灰岩体のあるものは海成中
1971)c 中生廓の認
定には放散虫・材化石・石以宕塊からの六射サンゴ
化石が利用された。
ー方 60年代後期から 70年代にか
けてはトリアス車己コノドン卜を含むチャートなどが
日本の各地で認知され,その地質的産状・意殺が注
目されできた。ごの年代に!立廓状チャー卜の形成環
境論と共にオリストストローム・メランジ 1 問題が
7 ローズア y ブし,プレ
トテクトニクス l 二関連し
て,いわゆる地向斜堆積物の形成場.形成過程の問
F
l*での ヘ ルム紀放散虫生層序設立の明るい見通し
題へと発展していった(例え :i 勧米良亀齢.
を与えてきた
77)。いわゆる古生層の.
(本号の石賀他を参照)。
また上記の
1976.
60 年代まで、の年代論 l 主主と
既発表諸論文を契機に.日本の各地でペルム紀放散
して炭酸塩岩中の化石にもとづいていたが,
と述の
虫が急速に同定されつつある。さらに石賀らは後期
オリストストローム等の問題検討にあたり.
“相伴
石炭紀放散虫生府序にも着手 L ている。年代チェ ッ
う"珪 tt 岩・砕屑岩・凝灰岩の年代を独 JJ. して決定
ク J ま共産するコノドントによっているが ,
することが重要課題として要請されるようにな〉て
J晋 4犬チャ
卜では放散虫はコノドン卜よりは,はるかに普遍
きた。放散虫化石ばこれらの場石に広く多民し.ま
的かつ多 援 に産出するので,今後のす了期:~の研究に
たコノドント:;1:トリアス車己までしか産出しないとい
は大きな 貢献をもたらすであろう c
ウラルのベルム系模式地域については,アンモナ:
イトで年代がチェ y クされた材料(故 RUZHEZ\CEV
う事情もあ って ,放散虫化石 l 立地質学的立上易からも
急激に I主 目を集めるようにな って きた。そしてすで
に本家で述べた先駆的な仕事から 1980-81tf には.
(Moscow) の f是'Í共)をもとに KOZCR (1 980 , 81
)
f9tl え :i 層 4犬チャ ー ト;立トリアス・ベルムネ己:ニ限らず
が研究を開始した。今のところ石賀らの分帯の仕事
シュラ紀または後期石炭紀のものもあることが明ら
は悶際的! こ 一 歩抜きんでているが,後期肯生代の放
かとなり,また海成ジュラ系が秩父累帯で、 1 ;1:南帯
散虫生層 序 :立国際的にも 80年代前半に急速に解明さ
れるであろう。
(三宝山手持)だけでなく中・北帯にも広く含まれ.
内帯でも美濃帯などに広〈分布することが確実とな
円本の中古 生 代放散虫研 究史
7
ってきた。文 献は し 、ち いちあげ ない が,こ の知見に
態 免
は多 くの 大子研究機関の研究者・ 学生が参加してい
近年;ム海外では科オーダー の 』論文が多く出ている
る。 70年代に佐藤
が,それは属以 上 の分類が未開拓なためであり.事
正!ま 美濃 帯・足尾帯のそれぞれ
系統進化の研究がすすめられねばならない 。
1 地点から偶然にも産出したジユラ紀ア ン モナ イト
実 これ らの研究は非常に役 立っ ている。日本でも基
を紀載したが,その発見の意義は放散虫化石の研究
礎的な古生物学は少なからざる研究者により進めら
の進展から広域的かつ具体的に深められつつある。
れ で あ、り.そ の 一 端(立木 号でも発 表され るで あろう
四万卜区 で も (1'胆紀・古第 i 紀放散虫の llil 際的分
帯の大綱が示されるにつれ ,
80年以降これまた多数
3)放散 虫は 種類が非常ーに 多 いので, 80年代には
日本でも新将の記載が氾i監し,電被・混乱する面も
の研究機関j の.とくに若手による研究が広範凶に民
あろう。 嵐名も 今 後かなり 変 わるであ ろう 。研究 者
111] され,四 万 十区の解明に大きな前進をもたらして
の臼 主 け:をそこなわない範|川て\標本・情報を交検
いる
し,分類別!こ分組・集中するのが能率的であろう 。
江原 の先 駆的活限は半 11卜紀を続で漸く 開花 し
たのである れ こ のような放散 虫研究の 成架は,さら
J ニ 5Ê 尾帯や北白 1I 北J-.IIJ 地,北海道に波及しつつある。
共同研究も大ぃ ι 進められでよ L 、 c
しかしこれは白
凶"J : こ 行うべきで. 学 問の世界では行政指溝型統制
これらの新知見:まさらにï',.l也悩;í. fílf 究と結合しま好ましくない s
ま たその他の関連分野 の(,Jf究と 共に 総合 され,
80Q
新種の記載・ [;<1 ノJ~ にあた っ て:;1:.,
S E M像と光-,と
代 i ニ:ま日本手 IJ 烏 I也域 の造術 史には飛lIi'~的 l 二新しい控室
顕微鋭{象とを併示し,またなるべく多く の 個体像を
空白がひらかれつ つ ある 、
~j とすのが宅ましい
中
古ノt: {に欣散虫の研究!ま
近年で:;1:.例え:エ E~IPso:\-r\iIOI{ I :\
そ の中で不可欠なifI llr耐を 1U っている 。( 198 1)立戸 1 . . 個体について両像を 示 している。両
f象を通じて,より満足のい く 情報が得 られ るだけで
L'.J. I.: こ述べた ,:r. 山、と くに '3) , :4; ,
51 からみ て 1980
年代 [立新し い~""i 4 則と す べきであろう
しか し その
何究史的評価:主後 の A"Iイにに委ねねばならない
なく,
SE\'\売子行で使えない条件 の 人でも,間定
だ'十字ら光学問微 3克下でかなりのところまで可能だ
からである。この配慮は次々 I兵に起すような広範 [!FI
にわ たる地別 手 的適月j や.
おわりに
'ß.しい欣散虫化石の華Jt療
の '~H;・ 及という凶でも必要だと tY、う。
中 ・!な生 (I;:欣 J孜 :11 の jíJf 守でほ.長 い間 の IIjj- \、トン オ、
ルをくくり J:b: けて ,
SE\1 の 1Iトj)を}f;.及 L ニともな
7 縦
4) f見在のように研究が色、速に桜|件l している段階
では.
1981 i f. 10fl にもたれたような版取虫集会や本
旅 技術j の向上 ど 白íî l'J: に述べた燥な"目安|土|・ fTL〈の侮
;; のよ うな特集(正.版めて竜裂である
合から,
する欣散虫研究 が附 報交険に よ り,焦点が収数 L.
1970 年代以降 JIUM 的:二進歩し つつある ご 1 9
80 1 1 一代じは
い わゆる 地向斜担中・ 市生 絹のげ 究に
多数の 欣依
事H~ ぃ展 tp がひら'するであろう 〉 古生物他分里Í'の研
は.放政虫化討を無視しごは到 1t';: 1戊 ':R が己だめ会い状
究)l'を参-/<;にすると.戦後 フス リナ郊 の m 究省隔が
ィ兄に
急速い t('l !J II したの :;1:.,
.~!云して き た ν
終おと して .今後の 1t 阪のためにい く つかの } ,'J, を
となり,つづい て 問山/;手企 が .戦前 の,:/'if,l f 究をふま
J行品却して tJ きた い v
1)中生代やベ
j レム紀のLl本の放店主虫~ t
b?,:
(B iostratigraph ぅ)
(
-(Biochronology ;
THmll's
o
:
¥ (1948) の-~ ~~ な [/1
版を伴うモノグラフが出で川究者のよい坐イ 1 の T;JI
, H 庁ヲ~~カヴ長く.
J
.
y.,;;
せに主 f勿 ir 1
1
;
:
と L て: ままだ成長していない 。
え,秋吉台の kf乍を :t l] ~たことが大きいと j41ι う
70 年代のコ ノド / ト川究の|在感も,
19
19 70; ドに Sympo.
sium on Conodont Biostr'atigr'aph) が出版された
従ってこの恭礎的なけがが重視されねばならない 。
ことが重 安:な f生存Ijをも' )ているり本り にはそのよう
より 多 く の地域の連続附尚子の州究己もとつく.そ
な役別会見 H.f} ,',í、なり i ニ県たすものが 合 まれている
して年代の判 11)1 している化石とのチ ェ ック を宇ドう M
近, ':1;た米に IJ 本での r 1
ilíî の Ifl ・市生代放 Ji-í ;主l モtlì11子
究が主主まれる 3
tt' ら
(1980 ,
いれば
ニの際例えば柑 ;17( チ弓ートでほー1i
82)
の行っているよう な 単肘ことの.
枚お ろし の粘り強い検, i ,t が必 要である ー
2)それに伴い 本椛 (l"J~
凸竺物j 分矧 :0;:: や ぷ礎的 ffヲ
のま とま ったすキ 集を山 l仮 する よう I1 指したいも ので
ある 。
5)
これ:tJ也 tt ザー の発 展二とって軍要 で ある。
中・-,1,"1"代!二 líli らï!j文 11~ ,,1\ {ヒむをオリ ス トス
ト ロ ーム,司UJ ナノフなとの地れよ li"Jrw1JW の個今の
8
市川
浩ー郎
判定に活用しようとする研究者人口は今後援々増加
SI
i
d
e ma55 と し ての石炭紀石灰岩.日本地質 学 会関
していくであろう。その際例えば 4 見 l 枚のチヤ
西支部報"
ト岩体内でも生層序が複数回くりかえされている例
70 , 1
0
.
- and YAO , A. , 1973: Scanning 日 ectron
Microscope Studies o
f Pores o
f some Cyrtoid
ity Uni ι
Radiolarians. Jouγ Geosci., • Osaka C
一一
が近年各地で知られているので,砕屑岩をはさみ見
掛上,上下関係にある 2 枚のチャ
1
6
. 125-)45. 7pls.
and 一一, 1
976: Two New Genera
v
Iesozoic Cyrtoid Radiolarians from Japan
o
f:
トから.たまた
ま採集した少数値のサンプルの年代にもとづいて両
一一一一-
者の新旧を云均することはほとんど意味がなくなっ
I
n
: Progress i
n Mic グ opaleonlolog百
上は一例にすぎないが,
80年代の古期層の地質調査
は益々粕度が要求されてくる。
6) 放散虫研究の,その他多方面の諸問題につい
Japan. Eα rth 5cience (Chikyu Kagaku ) , 34 , 333
1
5
.
- 345 , 5p
. KITO. T.and IMOTO , N" 1982: Late Per.
mian radiolarian assemblages i
nt
h
e Tamba
一一 一
対策に留意しつつ,研究が 着 実に進められていくこ
district and an adjacent area. SouthwestJapan
6
. 10-22. 5p
l
s.
The same , 3
とを願って 筆 をおく 。
:\. , 1
959: A Study on t
h
e Radiolarian
K Al\;O~IATA.
文献
づ|用文献が多いので,標題を考慮し.主として H 本の
ものを以下に示す。
1975 年以降ほ古生物 学 ・生層序 学 各
Fauna a
t Gozenyama. Jou γ
Chiba , Univ. , 2. 304-308.
r
A )
古谷
俗,
B r 下 ì'1liti 生界一よ ::m 原生界」研究報告,
藤本治義,
ß'f~
1932 ・関東の地~'l.
t出T 改版
13ー 16 田
,
19338:
就 い て(予幸1.0.
一,
36 , 85-96
一,
1960b: A Radiolar日 n Fauna a
t Odaira ,
2
2
0
. 2p
l
s
1961 ・ The
Geology o
ft
h
e Yamizo ,
Torinoko and Toriashi mounlain blocks and
l
h
e
i
r geologic a
g
e
. The same ,
p
l
s
.
3 , 351-367 ,
2
K. , 1953 ・ Geo l
o
gi
ca15t
u
di
e
s on t
h
e
Yamizo , Torinoko and Toriashi mountain blocks
and t
h
e
i
r Neighbourhood i
nt
h
e :¥ortheastern
KA\\ 油A .
1933b: 関東 lLJ 地の Radiolarian chert の府
40 , 411--415.
Remains discovered
i
n a crystalline schist of the Sambagawa Sys
{立 てよ的研 '究 .
2p
l
s
-一一一一 .
278p. ,中興
関東山地の放散虫チャートの成!大l に
東京侍維,
& 5ci. ,
Ibaraki Prefecture , Japan. The same , 3 , 213
京 };f.
一一一
一一
97 ,
1981: 岐阜県福地地域の才ルドビス・ノルル
系,とくに放散虫化石につい て .加納博編:総合研究
A γ ts
1960a: A Radiolarian Fauna a
t Nokura ,
IbarakiPrefecture , Japan , The same. 1
. 93-
-一一
日本
Co lI.
一一一一一,
分里子の初期的 貢 献に重点をむいた。なお本特集月:.tß載の
ものは省略した c
T必くA
l
s
.
Press. 110-117 , 2p
ISHIGA , H
.and I~IOTO , :\., 1980 ・ Some Permian
Radiolarians i
nt
h
e Tamba district , Southwest
ては本庁でも種々報文があることと思う。最後に目
を大切にするなど健康 管 理と酸処理に関連する公害
(ed.
YA:
¥AGI. Y
. &SAITO , T.)
. Micropaleonlology
てきている。砕屑岩も詳しく調べね l 工ならなし、以
1也 n 雑,
n1
0 0 slric l. 5
c
i
. Rep. Tokyo Bu ηγ ika D
a
i
.
gaku, C , 2 , 2
1 -307
KI\lUR,久, T. , 1
944.: The radiolarian fauna o
ft
h
e
m
p
. Acad. Tokyo , 14 , 252-254
t
e
m
. Pγ oc. I
:
'
¥
a
r
a
d
a
n
i Formatホon i
nt
h
e Sakawa Basin i
n
一一一一 , 1939 ・政散虫化石の研究
其の 1 ,秩父系.
t
h
e Pro¥'ince of Tosa. J α pan. J
our. Geol
I也氏維, 46 , 3
37-340
Geogr. , 19, 273-279 , 1p1
一一一 , 1949: 放散虫化石の研究
其の 2 ,秩父系.
一一 一一 , 1
944b: A study on t
h
e radiolarian chert
同 1: , 54 , 166-167
at Fukudaon t
h
e soulheastern border of t
h
e
一一一一 ・ illHI
純, 1949 ・ 1土溺系の地質 II/i代の考努
Sakawa Basin i
nt
h
e Pro 、 ince o
f Tosa. The
l
i
¥
1上, 54, 166
same , 1
9
. 281-284 , 1p
l
市川浩 4 自 1\ , 1946: 化石放 nx 虫の!州立 三 的価仮に I世l する
一一一一 , 1
944c: Some Radiolarians i
n Nippon
ー 考察. ,詰LJ' , 52 , 2
5-28.
l
The sam e , 19 , 285 -288 , 1p
一一一一 一 , 1%0:
Study o
ft
h
e Radiolarian Fauna
KOBAYASHJ.T
. and KIM じ HA , T 汁 1944: A study on
o
f Mt
.;
¥
I
i
t
a
k
ei
nt
h
e southeastern part o
ft
h
e
. F
ac. 5ci. , Jmp
t
h
e radiolarian rocks , Jour
Kwanto r\'Iour、 tainland . Japan. Jour.Fac. Sci. ,
U
n
i
v
. Tokyo , sec. 2. 2 , 75ー 178
Univ. Tokyo , sec.2 , 7, 281-315 , 3pls.
M ATSじ OKA , A. , 1
9
8
2
: Jurass 叩 t\\'o-segmenled :
¥
a
s
ーー
一一一 , 1953 ・化石欣目立虫 地味料.,[二 , 14, 9 ー 16.
5ell.rians(Radiolaria)from Shikoku , J.pan. Jou γ
1p1
.
Geosci. , Osak α Cily Univ. , 25 , ïl-86 , 3pls
一一一一 ,
1938 ・
K 、、:a
RaJiolarian
>
^
一一一一一
・石井健一・八尾
B
゚
.
1971: 中生層中の
t奏
正縫.
1950: 大崩綾片麻滑に放散虫化石を産す .
1也
9
日本の中古生代放散虫研究史
11 雑,
Radiolarians from Southwest Japan. I
n
: IJJJMA ,
56 , 444
水谷伸治郎,
1982: 飛騨金 111 のジュラ紀層について.付.
(英文)放散虫の記載.端浪化石博研報,
8 , 147-190.
MJZUTANl, S. , HATTORI
. r., ADACHI
. M. , WAKITA ,
K. , OKAMURA , Y. , KIDO, S. , KAWAGUCHI , 1., and
9
8
1
:Jurassic formations i
nt
h
e
KOJJMA , S. , 1
Mino area , Central Japan.
57, Ser. B , 6 ,
Pγ oc.
Japan Ac α d. ,
194 ー 199.
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1977 ・四万十層群の放散虫化
一一一
学 芸紀要(自然),
28, 17-25,
4p
l
s
.
・ 一一一一一・ JIIU 輝う隆・方村隆乙
1980:
四国東端の四万寸帯上部ユラ系および臼~系放散虫化
石の概要.
ru] 上,
中世古幸次郎,
1-16,
29, 27-35.
・西村明 子 ・菅野耕 三
1979:
四万ト帯
の放青空虫化石の研究(白亜系放散虫を中心にして) .
2 , 1-49, 8pls.
NAKASEKO , K.and NJSHIMURA , A. , 1979: Upper Tri ・
大阪微化石研究会誌,特別号,
assi
c Radiolaria from Southwest Japan.S
c
i
.
Rep. , C
o
l
l
. Gen. Ed"c. , Osaka U叫 ι , 27 , 61-85,
12pls
岡村
真,
1981: 高知県四万卜帯北帯 (白 亜糸)の放散
虫イヒ石.甲藤次郎教段違麿記念論文集.林聖子弘済会,
高 知,
153-178,
:
;p
l
s
. (
19
8
0
)
菅野耕 三 ・中世古幸次郎・脇本礼 f ,
1980: 志摩倖島東
部に分布する築地層群から産する放散虫化石について.
大阪教育大;~紀要.田,
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